いまどき

台湾の人にほっこりを感じた

台湾は国ですか?

難しい質問ですよね

一応、中華人民共和国、すなわち、ザ、中国の一部と云うことになるらしいのですが・・・・

さておき、今回、台湾へ観光旅行にいく事になりました。

台湾の人は親日の人が多いとの事で日本人には人気の海外旅行先です。

台湾の首都、台北に着きました。

真っ先に感じた事はバイク(スクーター)が多い事です。

街の至るところにバイクの修理屋さんが目立ちます。

2人乗りはおろか、3人乗りも当たり前、スクーターに大きな荷物やガスボンベを載せて走っている人も見かけます。

台湾の人にとってバイクは日常の交通手段でも有ります。

さて,今回の旅行は台北市内のホテルに3泊しての旅行でした。
毎日、違うガイドの人が付き、中でも一番年配のガイドさんが3日目に付く事になりました。
年の頃なら五十代前半くらい女の人です。日本の九州の大学にも通った事も有りで日本語もとても上手でした。

名前はたしか、ハイジと云っていました。

今までのガイドさんは若い人達なので台湾の昔の話はしませんでしたが、この人はかつて日本が台湾を統治していた頃の話をしてくれました。
もちろん、当時の時代を生きた人では無いのですが、多分両親や祖母などから聞かせれていたのでしょう。

日本は日清戦争で勝利してから、第二次世界大戦の敗北になるまでの間、およそ50年間、日本の植民地として支配していました。
植民地と云うと聞こえはまり良く聞こえませんが、いままでのオランダの植民地時代とはまったく異なり、日本軍による鉄道や学校などを整備し、特に当時の台湾は水事情が悪く、作物は愚か飲料の水にも困難な土地でした。

そこへ東洋一の貯水ダムを建設した日本人がいました。

八田與一(はった よいち)金沢生まれの技術者です。

八田氏は10年かけて台南市の奥に鳥山頭ダム,(八田ダム)を造りあげました。

このダムのお蔭で嘉南平野(日本の香川県ほどの面積)が農作物が出来る土地として活用出来る様になったとの事です。

台湾に昔から住んでいる年配の人なら八田與一の名前を知らない人は居ないくらい有名です。

そしてガイドさんは云いました『八田さんがダムを造ってくれなかったら今の台湾の発展は無かった。だから台湾人は日本に感謝している』と云いました。ほっこり

現に、東日本大震災の時、台湾から義援金200億円が寄せられたのをご存じでしょうか?

そして熊本地震の時にも義援金を頂いています。

それだけ台湾の方達が日本に感謝しているという事です ほっこり

日本の隣国、K国とは大違いですね。

むかし、日本が東アジアの国々を統治してた頃の話は私達はあまり教えて貰っていません。

慰安婦や微用工問題などを他国から問題視されている現在です。

家に戻ってから、日本が統治時代の事に興味が沸き、ネットやYouTube等で色々調べるうちに『日本の兵隊さんはりっぱだった』話を他国の高齢者の人が話している動画を観ていると戦争へかりだされた祖先に改めて感謝しなければいけない気持ちになりました。

私の父も戦争経験者でしたが、あまり戦争時の話はしませんでした。今は亡きなので聞く事も出来ません。

海外へ行く際はその国の歴史や文化を調べて行く事も大事かなと思います。

また今度、台湾へ行く機会があったら是非、私も日本の八田與一さんが作った八田ダムへ足を運んでみたいと思います。

 

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kiyo
管理人のkiyoです。 60歳の還暦を向かえブログを始めました。雑記ブログですが日々精進しながら一生懸命書いています。 読んで頂けると嬉しいです。

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