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妻籠城跡

今日は妻籠城跡に行ってきました。

地元でありながら妻籠城の城跡に来るのは久しぶりです。

小学校の低学年の遠足以来ですかね、

もう50年ぶりぐらいでしょうか、笑

 

ここが妻籠城跡の入り口です。画面右側の未舗装の山道が妻籠城跡に繋がっています。

 

妻籠城はいつ誰によって築かれたか明らかではないが、室町中期には築城されていたと推測される。妻籠城は、天正12年(1584)の小牧・長久手の戦いの折、ここも戦場となり木曽義昌の家臣山村甚兵衛良勝が籠って、徳川家康配下の菅沼、保科らの軍勢を退けている。また慶長五年(1600)の関ヶ原の戦いの時も、軍勢が入って孤高を固めたが、元和二年(1616)には廃城となった。

途中まで登ると当時、軍勢が攻めてくるのを防ぐために作られた橋の跡があります。

今は土が盛られて道になっていますが、当時は橋がかかっており、軍勢が攻めて来た時には橋を落として阻止したと思われるます。

 

その先も道が二手に分かれており、軍勢の勢力を分散させたのかも知れません。

上っていくと左手に平らな場所がありました。多分、ここに建物が立っており、城に出入りする者の検査などをしたのではないでしょうか。

ここにも画像からは分かりにくいですが、土を掘り下げて敵方の攻撃を難航させる工夫の跡が見受けられます。

やつとで頂上に辿りつきました。

50数年ぶりの景色が蘇って来ます。

小学校の遠足に、この場所で今は亡き母親が作ってくれたお弁当を食べた記憶があります。

昔はこんなに周りの木が茂ってなく、景色がもっと良かったような気がします。

下界には妻籠宿の宿場町が一望できます。当時の殿様はここから外界を望んでいたに違いありません。

北側を望めば隣宿の三留野宿が観れます。

下の登り口から頂上までは徒歩10分ぐらいかかります。かなり上り斜面がきつく気温が23度でも汗ばみます。

昔はここで 8月の終わりに秋葉様の祭礼で城山の火祭りが行われ、ここから花火が打ち上げられ、夜遅くまで宴を楽しんだ様です。

帰り道の下りは7分位で降りてしまいます。そこから宿場町までは15分位で戻れます。

妻籠宿においでの際は足を運んでみてはいかがでしょうか。

頂上の城跡には水道、トイレの設備が無く、注意が必要

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kiyo
管理人のkiyoです。 60歳の還暦を向かえブログを始めました。雑記ブログですが日々精進しながら一生懸命書いています。 読んで頂けると嬉しいです。

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